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建築画報
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建築と社会
柳澤 忠 名古屋市立大学芸術工学部学部長・教授
森口 雅文 伊藤建築設計事務所 代表取締役副社長
設計事務所とビジネス
森口:柳澤先生には、これまで前会長の伊藤鑛一の頃より私どもの事務所を側面から眺め、いろいろご助言をいただいてまいりました。また創立15周年以来、5年毎に建築画報の弊社特集号の紙面に寄稿いただいたり、対談させていただきましたが、今回は創立30周年を迎えるにあたり次のようなことを中心に、先生の長い教育と設計実務のご経験の中からお話しをお聞かせください。一つは、現実にいま、世間で問われている「設計事務所のつとめ」、次に「これからの設計事務所のありかたと役割」、最後に「これから建築家を目指す学生の教育」についてです。
柳澤:私と伊藤建築設計事務所さんとのおつき合いは、名古屋大学建築学科の創設(昭和38年)の頃からで、現会長の鋤納さんや森口さんに非常勤講師をお願いしたり、「愛知県赤十字血液センター」や「一宮市立市民病院今伊勢分院」などで一緒に仕事をさせて頂いたことがあります。以前には伊藤設計事務所が応募なさったコンペで、私が審査にあたったことも何回かありました。コンペといえば私は、日本の設計界は中規模の設計事務所がリードしていくべきだと思っているんです。勿論、アトリエ的な小人数でやっている所や大規模な設計事務所も大切ですが、コンペという非常に重要な場面で、伊藤事務所さんの様な中規模の設計事務所が良い作品をもっと出して下さらないかなと思っているんです。それはさきほどの設計事務所がこれからどうあるべきかという事に繋がってくるのではないでしょうか。
森口:先生が中規模とおっしゃいましたが、私どもの事務所はいま、事務職員を含めて東京と名古屋の両方で84人です。仕事のやりやすい規模というか、構造や設備など一通りのスタッフを揃えて、しかもお互いに感覚的に通じ合える人の集まりは、これ位の数から100人までではないかと思っております。
柳澤:各地の設計コンペでは大規模事務所だけが指名されることが多いのですが、もっと中規模事務所を指名すべきだと思います。大規模だと仕事を専門的に分担できるメリットはあり、病院などの専門チームができると専門用語がわかるなどでクライアントに信頼されるのですが、逆に病院設計にばかり凝り固まってしまう側面もあります。ホテルを設計できる人が従来の病院にないものを実現してくれる期待もあります。ホスピタリティの本領を理解している設計者っが多角的な活躍をしてほしいのです。
森口:病院や教育施設など専門分野を決めるのは、たしかにビジネスとしては効率がいいのでしょう。私どものような事務所の規模でも、たとえば設計と監理を分けてやるかどうかという議論もいたしますが、私どもの場合は作品毎に一つのチームを組んで仕事にあたりますが、民間の仕事が8割を占めることもあり、チームを組んだ後は、企画から設計、監理はもちろん、作品を竣工させてお納めしたあと、そのメンテナンスまで一貫してそのチームがお世話するという態勢をとっています。ビジネスとしての効率は決して良くないかもしれませんが、そこに我々の建築への取りくみ方をご理解いただければと思います。最近よくいわれるサスティナブルという言葉も技術のキーワードとしてだけでなく人と人、人と物との関係にまで責任を及ぼしたいものです。
柳澤:伊藤事務所さんが出されたコンペで私が審査を担当したものに一宮市の卸売市場がありました。説明の文章が図面の中に書き込まれていて、とても判り易かったのを覚えています。きっと卸売市場の専門の人が見ても「大事なポイントをきちっと押さえているな」と思ったのではないでしょうか。そういったポイントのつかみ方、いろんな専門家の方々の知恵をうまく引き出して設計の中に取り込むとか最終的にそれをちゃんとまとめて表現する事、そして建て逃げではなくファシリティマネージメントを含めた仕事をするという事が設計事務所の総合的な能力だろうと思います。伊藤事務所さんの様なそういう力を持っている中規模の設計事務所というのが、実はなかなか日本にはないんです。
HEALTH CARE DESIGNと生活環境の創造
森口:ここで少しエルイー創造研究所について話をさせてください。私どもでは12年前にセントラル技術センターという関連会社をつくりました。コンピューターによる伊藤事務所の技術的な支援をするのが主な目的だったのですが、これが一応の成果を得たこともありまして、昨年「エルイー創造研究所」(本誌P.116参照)へ、組織と名称を改めました。将来の設計事務所の役割を踏まえて「より健康な生活」と「より健康な環境」の創造を具体化し社会に寄与することを考えています。以前先生に伺ったヘルスケアデザインと何か相通ずるものがある様に思いますが、いかがなものでしょうか。
柳澤:エルイー創造研究所をどんなふうに展開されるのか大変興味があります。たとえば、病院建築については最近「癒しの環境」ばかりがテーマになりすぎていますね。たしかに西欧からみれば日本の病院環境は遅れていると思いますが、競って施設にお金をかけるだけでは、民間の病院も公共の病院も経営が苦しくなって当然です。これからは経営的に施設の活性化を考える必要があります。それには患者の在院日数が問題で、ベッドの回転率を良くすることを考えて経営悪化を防がないと。アメリカなどでは手術後すぐに退院させますからね。環境にお金をかけて、それを活用する総合戦略が大切です。
森口:おっしゃる通りです。病院のそばに患者を収容する宿泊施設をつくって、退院した患者がそこから通院して治療を受けられる様にすれば病院の経営は改善されますね。
柳澤:ヘルスケアデザインに関していえば、私はこのごろ大学病院や大きな病院のまとめ役みたいなことをする仕事が多いのですが、たのまれる仕事は平面の縮尺でいえばせいぜい600分の1程度迄の話で終わりです。本当は、一つの病院をつくるのにはベッドのそばに欲しい椅子や患者の使いやすい洗面器のデザインのこと、カーテンのデザインをどうするかといったことや音や臭いの問題等はどうなのか、という話までしてはじめてデザインといえるのです。そういったことを総合するヘルスケアデザイン(健康を支える環境デザイン)をやっていきたいと思っています。そうすると、エルイー創造研究所の目指しているものは、我々の唱えるヘルスケアデザインとほとんど一緒なんです。ですからこれからどういうふうに事業を展開されるか大いに関心をもち、又、期待もしております。
森口:何か一つの成果があがればいろいろ批判はあっても次の展開ができるのですが、エルイー創造研究所としてはいま、そのチャンスを模索しているところです。最近では「日進市スポーツセンター」や「アサヒビール吹田工場ゲストハウス」、「神保町ひまわり館」などで造園家の協力を得てランドスケープのデザインを展開しました。エルイー創造研究所がビジネスとして成功するにこしたことはありませんが、造園家に限らず建築以外のいろいろな分野の専門家の協力を得て、伊藤事務所の仕事振りが建築を含めた広い視野からの判断となり、そのことがきちんと評価されればまずは成功だと思っています。
柳澤:建築だけでなく家具やカーテンなど身のまわりの生活をうまく組み立てる為には、エルイー創造研究所の様なところがリーダーシップを持って、こういうものがいいと言ってつくらせたり、周辺の企業をリードして働きかけて下さるとありがたいのです。
存続と責任
森口:ところで、今年で創立30周年を迎えるにあたり、私どもがこれまでに造りました1000余りの作品に対しての責任をもつためにも事務所は健康な状態で存続させなくてはならない、ということを最近つくづく感じています。その間にどれだけの人間が育ち、その人達がこれからどんな役割をはたせるのかなど事務所の明日を考える良い機会にしたいと思っています。
柳澤:私がいつも伊藤事務所に対して思うのは、ひと言でいえば駄作がない事務所だという事です。誠実だから一点一点のレベルが非常に高くいい加減な仕事が無い。それは素晴らしいことなのですが、欲を言うなら「これが伊藤事務所だ」という代表作品がもう少し欲しい。これから将来に向けて、事務所を支えていく若い人材を引っ張って来ることができるかどうかはその辺にかかっているのではないでしょうか。一般的に若い人は、インパクトの強い目玉商品に魅かれる傾向がありますからその辺りが少し気になります。
森口:ご指摘のことは日頃感じている処でもあります。ただ、先生が以前からおっしゃっている「建築主と建築家との関係はお医者さんと患者さんとの関係に似ていて、あくまでも病気を治す主体は患者自身であり、医者はそれに協力するだけ」と言うご意見には全く同感でして設計事務所の施主に対するスタンスも同じだと思うのです。作品自身に何かを主張させるには、よほど上手く施主のコンセンサスがとれない限り顧客満足度という点で不安が残ります。古い話ですが、前伊藤会長からは新しい材料や工法は、開発されてから10年間は様子をみるようにいわれていました。今時10年も使わなかったら材料自体が無くなってしまいますが、これは何も材料や工法のことだけをいったのではなく、我々の仕事は人のお金で人の財産をつくり、しかもそれが社会資産としても通用するものにつくりあげる責任があるのだから慎重で堅実な仕事をすべきだ、との教えだと思います。しかし、これからはその心を充分理解した上で少し冒険をしてもいいのかもしれませんね。先生のご指摘は、私たちが事務所を続けていく上での一つの指針とさせていただきます。
顧客満足度を満たした上で、キラッと光るものをどうつくるかということですね。若い人達も設計事務所で数年間仕事を続けていく間に、世間というのはこういった信頼関係を構築しながら仕事をしなくてはいけないんだ、という事が次第にわかってくるでしょうが、事務所に入るかどうかというスタートの時点ではまだ判断がおぼつきませんから、そういった意味では若者の気持ちを魅き寄せる一宮のタワー「ツインアーチ138」の様な作品がもっとあってもいいかなと思います。
森口:そうですね。先生のおっしゃる様な提案をぜひ実行していかなければと思います。
柳澤:その意味では「愛知芸術文化センター」の図書館のコンペは当選していただきたかった。とても柔らかい雰囲気のある提案でしたから。話は変わりますが、日本の建築工事費は国際的な感覚では高いと言われていますね。仕様も厳密で竣工検査等も厳しいから仕方ないんでしょうが。以前、森口さんとご一緒した台湾の病院は、病室やシャワールーム等はゆったりとしているが幅木が揃っていなかったりして造りがかなりラフだった。たぶん森口さんたち建築のプロとしては我慢できなかったんじゃないかと思うんですが、建築の価値観というのは一様ではなくてこういうケースだったらこうだという多様な選択肢を提案することも、これからは必要だと思います。
森口:いままで以上に施主の多様な意向を掴んで仕事をしていかなければいけない、ということですね。
柳澤:そのメニューを作らないといけないですね。「少々難アリ」でもいいからゆったりと広く、しかも安く作れます、とかね。病院のようにリラックスすることによって健康をとり戻すのが目的の生活には、研ぎ澄まされた人口環境よりむしろ多少ラフでも自然に近い環境の方がいい場合があるかもしれない。
森口:いま、建築基準法の改正が検討されていますが建築物への責任について、これまでの設計監理者と施工者の責任に新たに建築主の責任が問われることになりそうです。建物の強度を決める時にも然りで医療のインフォームド・コンセントと同様に、その為に施主が判断できる条件づくりもわれわれ専門家の大事な仕事になる訳です。最近は商業施設などで一定期間土地を賃借して建物を建てるケースも多くみられますが、その場合に建物は土地を賃借している一定期間だけもてばいいといわれることがあります。これもお客さんのニーズの一つです。この様に考えますと、多様な建築主の要望をいかに的確に分析して対応していくかがこれからの大切な仕事といえます。
柳澤:いま、私は建築学会の地球環境委員会の委員をやっているんですが、建物を設計する時点でゴミになった時にどう処理できるのかを考えないといけない時代がやってきています。施主がそういう考え方を要求しなくてもモノをつくる立場として、建築の地球環境に対する負担を軽減していく責任があると思います。そういう配慮というのは我々がきちっと勉強して、施主をすこしずつでも啓蒙していく努力が必要ではないでしょうか。
ARCHITECTの育成
森口:今日の最後のテーマ、建築家を目指す学生の教育のありかたについてお話いただけますか。
柳澤:私がいまお世話している大学は、できるだけ実務的な大学にしたいと思っているのです。入った時から出口を意識する学生をつくりたい。それには森口さんの様な実務家に大学に入り込んでいただいて、学生には実際的な影響のある課題に取り組ませて刺激をあたえていただけるととてもありがたい。私は名古屋大学の建築学科をつくった頃からそういう機会を考えていました。建築ってなかなかすぐにはつくれないが、家具ならば学生時代に自分でつくることができますよね。建築の図面は100分の1だったり50分の1だったりしますが、家具ならば原寸の図面をつくれます。その感覚がないといけないと思うのです。アメリカの大学などでは、実際に建築計画が進行中のケースを取り上げて学生にも取り組ませるといった努力をしています。たとえば中学校の設計のプロジェクトがあると、その中学校の先生たちや設計事務所の方に来ていただいたり、こちらから学生が出掛けていって、どういう設計を求めているのかという話しを聞かせてもらう。そうやってディスカッションしながら設計課題に取り組むとずいぶん違いますね。またそういったつながりでいい学生に目をつけていただいたり、どういう人材がほしいのかということを早くから教えていただける様になれば、学校と実社会とのつながりができてくると思うのです。本当はそういった委託教育の様な気持ちでやりたいのです。
森口:本日は30年という節目に、日頃からひとづくり・ものづくりでご苦労されている先生の思いを開陳していただき、大変ありがとうございました。
柳澤 忠(やなぎさわ まこと)
昭和6年 | 兵庫県生まれ。 |
昭和32年 | 東京大学建築学科卒業、同大学院修了後、久米設計・東京大学助手を経て昭和39年名古屋大学建築学科助教授、同教授を経て平成6年同名誉教授。平成8年名古屋市立大学芸術工学部長、現在に至る。 日本建築学会賞(論文)「使われ方予測を中心とした病院の地域計画・建築計画の研究」、第1回病院建築賞・厚生大臣賞「碧南市民病院」を受賞。 |
森口 雅文(もりぐち まさふみ)
昭和12年 | 京都府生まれ |
昭和35年 | 京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科卒業。同年日建設計工務(株)〔現(株)日建設計〕入社、名古屋事務所勤務。 |
昭和42年 | (株)伊藤建築設計事務所設立・入社。 |
昭和9年 | 同社代表取締役副社長、現在に至る。名古屋大学講師(非常勤)、日本建築協会東海支部長を歴任。現在、日本建築学会評議員、日本建築協会常任理事、建築設備電力委員会委員。 |