アーカイブ| きびしい情勢の中で
建築画報
- 372号(2017年9月)
- 326号(2007年11月)
- 264号(1997年8月)
- 234号(1992年12月)
- 197号(1987年4月)
- 165号(1982年11月)
- 107号(1976年9月)
建築と社会
鋤納 忠治
伊藤建築設計事務所代表取締役
今や過酷なまでの過当競争の建築設計界にあって、私たちの事務所が進むべき道の、一つのヒントでも得られればと思って筆をとってみた。
私たちの事務所は、現在技術者数は40数名で、うち一級建築士は32名であり、構造をはじめ、電気・機械設備関係の技術者も含めて、総合的な設計事務所としての態勢をととのえている。
「日経アーキテクチュア」の資料からみると、当社の一級建築士の比率は高く、また平均年令も高いようである。このことは、当然質の高い仕事をしていかなければならないことになる。設計事務所を規模により分類して、10名以下小事務所、50名以下中事務所、50名以上は大事務所という規準のようなものが通念であるようにみえる。
とすると、私どもの事務所は中規模事務所という範疇に入ることになる。勿論これはあくまで「数」による分類であって、それぞれの持ち味による特色もあることであり、これがあたかも設計事務所の質的ランクをも表わすかの如くに認識されては困ったものだと思う。
それも世間一般のことならやむを得ないとしても、建築界においてもそうした認識がされるとすれば、設計事務所というものについての正しい認識と評価は、まことにむつかしい問題であるといわなければならない。建築を設計するための集団を、あえて「設計組織」といういい方で呼ぶとして、その「設計組織」を論ずることの目的は、「数」ではなくて、「質」の問題であることに意味があるはずである。 今日の設計の仕事は、たしかに多くの専門分野の人達によってチームを作らなければ不可能になってきたことは事実であるが、これを即、あたかも組織が設計するような云い方は錯覚で、実際に設計をやったことのある人ならば決してそうは考えないはずであり、設計というものはあくまでそれに関わる個人個人の能力と熱意の集積でしかあり得ないものなのだ。大きな組織でやればよいというものでもないし、それが設計の質につながるというものでもない。
私たちの事務所では、プロジェクトごとにいくつかのグループを構成することになるが、そこには、常に殆んど全員が相互に関わり合っており、個人の能力や経験が完全に生かされ、全体としてのレベルアップに非常に有効に作用してくれる。仕事の内容も、あらゆる種類の設計を大小とりまぜて同時に進めており、そうしたことが、むしろ個人にとっては非常に幅広く、具体的に豊富な経験を重ねていくことにつながっていき、私たちの事務所のメリットが発揮される所似であると思う。 また最近の傾向として、指名コンペが多くなってきたことがあげられるのが、その場合も同様のことが云えると思われる。当社でも、このところおおよそ年に数件の指名コンペを受けて制作してきた。
それらの中から、今回掲載されたものを含めていくつかの作品が当選してきている。私どものような中規模事務所にとっては、この指名コンペは大変な負担であり、大抵は大事務所が相手である。しかし私達は、コンペの指名を受けた以上、力いっぱいの作品を出さないわけにはいかない宿命を負っていることは、同様の立場の人達には解ってもらえると思う。
大事務所には、コンペ専門のセクションがあり、そこでもって次から次へとこなしていくところがあると聞くが、私どもの事務所の規模ではとてもそんな余裕などなく、従ってその度毎に担当者を決めてチームを作ってやっていく。当然、各人の受持っている業務と重なることになる。いうなればそれだけ負担増になるが、しかしこのコンペこそは、苦しいが反面個人も事務所としても力がつくことには間違いない。 それだけに、公正なるコンペを望みたいし、少なくとも応募作品と審査の内容を公表してもらいたいものである。
そうであれば、私たちも納得でき、苦労もむくわれるところである。最近そうした好ましいケースがふえてきたように聞くし、いろんな試行錯誤を重ねてでも、少しでも、コンペがフェアに行われるようになるならば、少なくとも「設計入札」よりはベターというふうに考えざるを得ないのではないかと思っている。 私たちの事務所は、設立後やっと15年を経たに過ぎないが、その間になし得た業績が多少は世間に認められ、根をはりつつあるように自認している。三段跳びにたとえるならば、ホップ・ステップ・ジャンプのホップを跳んだところで、現在はステップの段階に入ったといえるのではないかと思う。いつの時期か必ずや将来もう一段の飛躍を目ざしたいという願いをもって、今はそのためのエネルギーを蓄積すべき時とひそかに考えているところである。
いづれにしても、健全なる事務所として生き残れる道は、技術力の強化でしかあり得ないと思うし、またそうでなければならないと信じて、設計でしかめしの食い方を知らない私たちは、これからも苦難の道を歩みつづけていくより他ないと考えている。