株式会社伊藤建築設計事務所

アーカイブ| 信頼をつないで

中山哲次:伊藤建築設計事務所 常務取締役 東京事務所所長(1974年入社)
小田義彦:伊藤建築設計事務所 常務取締役 名古屋事務所所長(1975年入社)
上西真哉:伊藤建築設計事務所 名古屋事務所 技師(1999年入社)
池野啓悟:伊藤建築設計事務所 東京事務所 技師(2000年入社)
吉野 宏:伊藤建築設計事務所 東京事務所(2004年入社)
山本貴史:伊藤建築設計事務所 名古屋事務所(2006年入社)
司会 櫻井旬子(本誌発行人)

40周年を迎えて

司会:伊藤建築設計事務所が40周年を迎えられました。まず、これまでを振り返ってのご感想や事務所への思いから伺いたいと思います。

中山:私は入所して33年になります。私が入った頃の東京事務所は7人でしたが、今はその3倍に増えているし、やっている仕事も変わってきている。ここ十数年で商業施設が非常に多くなりましたが、街づくり三法などの法改正があってこれから扱う建物の用途がかなり変わってくるのではないかということで、今後、今の若い人が商業施設以外にもいろいろな建物の設計に関わることができればと思っております。

小田:名古屋は多岐にわたる建物の設計と監理をやっています。私が入社した当時からいうと、顧客の顔ぶれは大きく変わってきているし、当時ほとんどは更地に建物を新築していたわけですが、昨年実績でいうと新・増築物件は全体の1割未満です。ほとんどが増改築・改修、あるいは1981年の耐震基準改正以前にわが社で手がけた建物がたくさんありますが、その耐震診断、補強計画・補強設計、それに伴う改修という仕事が、阪神大震災以降は特に増えている。今後設計事務所の仕事は、既設の建物を調査して、どうやって改修していくかというヨーロッパ型に移行していくのではないかと考えています。
もう一つ、一番大きく変わってきたことは仕事のテンポですね。われわれが入社した頃は、(現取締役の)市川さんが一日じゅう階段の手摺りをスケッチしていたりとか、私も入ってすぐの頃に「階段の手摺りとトイレが設計できれば一人前だ」と鋤納相談役から言われたことを覚えていますが、今は若い人たちのほとんどが物件を「こなす」という仕事の仕方をしていて、大変だなと思います。

上西:私は中山常務が入社した年に生まれたのですが(笑)、99年入社ですので、ようやく10年目になるんだという実感のほうが大きいです。私は最初の勤務地が東京事務所で、それから名古屋事務所に転勤してから某自動車メーカーに3年間出向して、2年前に名古屋事務所に戻ってきましたが、企画、設計、現場、出向中にはお施主さんの中での仕事、それぞれの場をひと通り経験して、ようやく建築という仕事の全体が見えてきたような段階だと思います。それでも、10年20年のお付き合いのあるお施主さんに説明に行くと、「伊藤設計さんだから、私の言うことがよくわかってくれる」と言っていただけるのは、40年の実績から得た信頼なんだなと思って、この信頼をこれからも大事にしていかなければいけないと、その責任を感じているところです。

池野:私は小田所長が入社された年に生まれたのですが(笑)、会社は30年がワンサイクルという話で、40周年というのはそれだけ信頼を受けてきたんだなと思います。私は就職氷河期に入社したので、東京事務所の中ではめずらしく住居系の仕事や木造のものも手がけているし、仕事の仕方も、一日じゅう椅子のことを考えていた日もあって、ほかの人より恵まれた環境にあるなと思います。今は結構忙しく仕事をしているので、時代の差というか、仕事内容もこの8年間でも大きく変わったなと思います。

山本:私が昨年度末に改修で手がけた物件は私が生まれた年に伊藤事務所が設計した物件でして、自分と同じ24年たった建物を手がけるとは思ってもいなかったので、40年という歴史をこれから先は自分が受け継いでいかなければならないと、責任の重さを感じました。今やっている病院の改修も、私が3歳か4歳のときに竣工した建物でして、これから先こういうことが多くなっていくだろうし、建築基準法・建築士法改正の影響でより社会の目も厳しくなっていくと思うので、今までつちかってきた信頼を壊さないようにやっていきたいと思っています。

吉野:事務所を立ち上げてから安定するまでは、すごく大変だったんじゃないか。一つの企業から継続して仕事をもらうのも難しいし、その信用を維持して40年間続けてきたということは、やはりすごいことだなと思います。私も東京でショッピングセンター、スポーツ施設、事務所の改修、工場の改修、いろいろな物件をやってきたのですが、CAD化などで仕事のスピードが速まっているので、まだまだこれから修業しなきゃいけない。40年という歴史に恥じないようにやっていかなければいけないと思っています。

CADでスピードアップした仕事

建築用CADが出てきて20年ぐらいですか、CADが出るまでは手で描かなきゃいけないので、どうやったらいい線が描けるか、一生懸命練習していた時期がありましたね。

中山:早く描き上げるというのは随分訓練させられましたね。入って1週間目に平面詳細図を描かされたことは今でも忘れられませんが、手描きですから徹夜ですよ。学生時代にはそういう訓練はしていませんから、今でもその図面はあまり見たくないですね(笑)。

上西:今の若い人もスケッチはするんです。いきなりCADから入る人は少なくて、みんないったんスケッチをしてそれを最終的にCADに落とす。だけどスピードを要求されると早い段階からCADでやるようになる。ただ、そうするとだんだん誰が描いた図面かわからなくなるという反省もあって、できるだけスケッチをして自分の個性が出るような設計を心がけてはいます。

中山:CADは確かに速くて便利できれいですが、CADを使っているとコピーが非常に多いからあまり考えないでやる。手で1本1本線を引くときには全部その意味を考えますからね。

吉野:私と山本君が手描きを学生時代にやったかやらないかの境目じゃないですか。設計課題は手描きでまだ出していたのですが、卒業設計からCADを使うようになった。

山本:そうですね。私も大学2年生までは、パソコンで描いたものは認めないと言われて手描きで描いていました。

池野:去年入社した人は、スケッチも描くけれども、いきなりCADでも描くので、時代の差を感じますね(笑)。

小田:僕の入社当時は、チーフの手足となっていわばCADの代わりで働いてくれる人から、将来事務所の根幹をつくる人までを幅広く採用していました。それも2人を同期入社させ、競争させて切磋琢磨して育てるという意識が、創業者の伊藤鑛一さんにあったのではないかと思います。

司会:今はどうなんですか。

小田:今はCADがありますから、建築家として十分独り立ちできるような人がたくさんいるというのが会社のこれからの力になる。だから、大局を見られる人、ある程度文章も書けて話もできる人を中心に採りたいという意識が、少なくとも私にはあります。

顧客とのゆるぎない信頼関係

司会:某自動車メーカーに3年間出向されていたというお話ですが、今でもそういう制度はあるのですか。

小田:ええ。1998年からお付き合いが始まったんですが、名古屋に本社があって東京にも支社があるところがいいということでした。それまではゼネコンの人が来ていたようですが、今はうちを含めて数社の設計事務所から各社1~ 2人出向しています。

上西:実際の仕事はいわゆる設計とは違い、プロジェクトの企画・立ち上げ、建物をつくるに当たって企業としての理念をどうかたちにするかなどのコンセプトの構築が主でした。その中で実感したのは、彼らが設計事務所の主たる役割は構造・設備も含めた総合的設計力もさることながら、コスト管理をしながら設計を行うところにあると理解しているということです。

小田:彼らが担当したものの設計がみんなうちにくるわけじゃないですよ(笑)。あの会社のすごいところは、どんな人間を出してもその長所をいち早く把握して、その長所をぐんぐん伸ばしてくれる。時間管理もしっかりしてくれていますから、出向している間に、それまで時間がなくてとれなかった一級建築士をとった人もいます(笑)。

上西:外に出るといろんな情報が入ってきます。ほかの設計事務所とかゼネコンの人もいるのでさまざまな情報交換ができて非常に勉強になったし、外から見て初めてわかる伊藤設計のよさも、逆に足りない部分も見えてきたなというのが実感としてあります。

池野:お施主さんもだいぶ変わってきていると思いますね。昔のお施主さんは「よろしくお願いします」という感じだったのですが、今はお施主さんのほうが詳しくて、教えられることが山のようにあったりという感じがしますが、その辺はどうですか。

中山:確かにいろいろ勉強されていますね。要求度も高いですよ。

小田:長く続いてきたお客さんは、お客さん自身が建築のことを大変よく理解されているお客さんだったんでしょうね。プロといえどもミスをなくすのは難しいですから、あまり危険を冒さないというのが社風でもあるんですが(笑)、たまには新しいデザインをしたい、新しい材料を使いたいという人も中にはいる。それで不具合が出た場合に、施主から怒られても訴訟にまでは至らない信頼関係を結んでいくということが大事なことだと思います。

吉野:入社の面接のときに鋤納相談役から「仕事で一番大事なことは何だ」と質問されて、「いい建築をつくることです」と言ったら、仕事をとってくることだと言われました(笑)。仕事をとってくることは若い人には難しいですが、施主との付き合い方は大事だなと、市川さんと仕事をしたときに思いました。市川さんという個人にすごい信頼感があって、その上で仕事をしているというところがある。先輩たちのお客さんとの接し方はすごく丁寧だし、気を遣い過ぎるぐらい気を遣いますね。

小田:お客様は神様だから(笑)。長くお付き合いいただいているお客さんは、向こうから断られない限りそこの仕事を続けたいと思いますが、新規のお客さんは良い仕事かどうかではなく、やはり慎重になりますね。私たちの事務所のことをよく理解してくださっているかどうかを、見極めたうえでないとお付き合いできないところがある。

これからの10年に向けて

司会:次の10年となると、もっと状況も変わっていくしスピードも速くなっていくでしょうけれど、皆さんがどういう方向に向かおうとされているのかをお伺いできればと思います。

中山:社会もそうですが、事務所のなかも大きく変わるんじゃないかと思うんですね。最初は日建設計にいた9人からスタートして、森口社長が最後のメンバーとなると、次の世代へのバトンタッチがあるでしょうから、伊藤事務所の組織が少しずつ変わっていくと世間の見方がまた変わるかもしれない。そうすると、いろんな知識、情報をもってお客さんに接していかないと信頼が得られないと思うし、相手の考えていることを理解できるようにいろいろ勉強していかないとまずいと思います。

小田:ただ、お客さんの状況は今後どんどん変化していくかもしれませんが、設計という仕事の役割自体はあまり変わっていかないんじゃないかと思います。
その中で、これから環境と安全が2つの大きなテーマになってくると思うので、建築担当の人も含めて構造と設備の技術的なレベルアップは今後非常に大きな課題だと考えています。もう一つは、今後はチャンスがあれば中東、中国、インドなど国外の仕事にも挑戦していければいいかなと思っています。

池野:今回の法改正で、今、設備のレベルアップという話がありましたが、われわれ計画のレベルでも技術的な内容をある程度深いところまで知っていないと仕事として対応できなくなるというのが率直な感想です。その辺は全員がある程度のレベルの技術をもった人間になれば、これからスピードアップにある程度は対応していける。この先10年はそうなっていくと思いますし、そういうことで各個人が信頼を得ていけば、それがまた次の仕事につながっていく。そういうことじゃないかという感じをもっています。

上西:今までの伊藤設計に対する信頼関係を維持しながら、新しいものにもチャレンジして、その実績を積み上げていきたいという思いがあります。それには個々の能力の向上が必要でしょうし、特に法改正では、こちらも戸惑っている中で、お施主さんにその経過だけ伝えてもよけい戸惑われるので、その辺の知識をつけた上でのお客様への丁寧な対応と信頼していただけるようなお付き合いが一番重要になってくるのではないか。そうでないと設計という次のステップへも進めないし、改修への良い提案もできない。その辺は自分の能力の研鑽によって、周りを変えられればという希望を持っています。

吉野:私は住宅に興味があったのですが、住宅専門の事務所に入ったら住宅しかできないまま一生を終わるんじゃないかという懸念もあって伊藤設計に入りました。今のところいろんなものをやらせてもらっているんですが、これからはマンションの設計もやりたいし、直接お客さんとのやり取りがもう少しあればと思うことがときどきあります。そういう意味でも、今後も色々な事を吸収していきたいと思います。

山本:10年後というと私は入社して丁度一回り(12年)になりますが、担当した物件の施主に10年後にどこかで再会した時、「伊藤設計の山本さんにまたやってほしい」と言ってもらえるような建築士になりたいと思います。今まで大規模商業施設をやってきましたが、小規模のものや違う用途の建築もやってみたい。自分はこうやりたいんだということが言えるだけの、技術に裏づけられた自信を持てればと思います。

司会:最後に、若手に期待することを一言でお願いします。

中山:私は同期に優秀な人がライバルとしていたので、若い人たちにも目標なりライバルを自分なりにつくってがんばってみたらどうかと思います。また、外に出ていったときは、そこで必ず信頼を得て帰ってくるようにお願いしたいですね。

小田:自分にしかできないものをつくることがいいと思います。守備範囲が広いということも大事ですが、何か一つ目標を見つけてそれを伸ばしていく。デザインがうまいとか、設備に強いとか、こういう仕事は彼しかできないと一目置かれるとか。そういう人たちが集まった力というのが事務所の総合力でもあると思いますので、期待しています。

2007年8月22日 桜通ビル・LECホールにて