アーカイブ| 地域のモノとコトを先導する設計集団
建築画報
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建築と社会
月尾嘉男 東京大学教授
文明と文化という言葉がある。どちらも類似しているようであるが、両者を明快に区別する名言がある。文明はテレビジョンの受像装置を製造することであり、文化はテレビジョンの放送番組を制作することであるという言葉である。細部では異論があるかもしれないが、文明は世界に共通するモノを提供する行為であり、文化は地域の特徴あるコトを提供する行為であるという一般の認識とも合致する説明である。
この定義にしたがって、建築はどちらかと質問すれば、ほとんどの回答は文明になると予想される。たしかに古来の歴史的建造物でも現代の記念碑的建物でも、厳然としたモノであるし、名作の評価は世界共通である。とりわけ1920年代から建築世界を風靡した国際建築様式以来、極端にいえば、アフリカに建設される病院もアメリカに建設される学校も共通の発想で設計されるような普遍という性質が建築世界では強調されてきた。
これからの建築は二重の意味において、この発想を転換していく時期にある。国際建築様式の出現の背景には工業社会の躍進があった。これは同一の製品を大量に生産し普及させることが企業の成功、ひいては国家の発展に直結するという社会であり、アメリカの電気製品が世界の家庭を席巻し、日本の自家用車が世界の道路を走破するという文明が出現した。この文明に行詰まりの感覚や批判の風潮が出現してきたのが現代の社会である。
発想の転換の第一は、建物は地域の特徴を反映する文化となることである。地震のある地域にも高層建築を構築できる構造技術、高温多湿の地域にも快適環境を実現できる設備技術、工業材料をどこへでも同一値段で提供できる製品技術などにより、雪国の山中の学校も南国の沿岸の病院も区別がなくなってしまったのが現代の状況である。文明の視点からは成功かもしれない。しかし、文化の視点からは喪失以外の何物でもない。
かつての風土を濃密に反映した空間、生活を直接に表現した空間を想像してほしい。これらを再度、地域に奪回することが現代の建築に関係する人間に要求されていることである。そこに毎日を生活することからのみ獲得できる肌身の感覚を駆使して、ポストモダンという目先の変化を追求した軽薄な外観ではない空間が期待されている。これを実行できる最短の位置にあるのが地域に根差した設計集団である。
転換の第二は、モノの段階に終始しないコトへの関与である。巨費をかけた素晴らしい音楽ホールが建設される。設計の人間はどのような音楽が演奏されるかなどを詳細に検討し、適合した空間を構想する。しかし、建設工事が終了し建物が完成して以後、その人間は一人の聴衆としてしか建物に関係はなくなってしまう。たまに関係があるとすれば、屋根の漏水や機械の故障などで補修が必要になったときくらいである。
これまでの建築の職業は、モノには関係するがコトには関係してこなかったのが歴史であった。しかし、建物の目的はモノを実現することではなく、住宅であれば生活を、学校であれば教育を、病院であれば医療をおこなうコトである。これまでの設計の職業は前半の半分にしか関与してこなかったといっていい。この放置されてきた半分に関与できる最短の位置にあるのも地域に根差した設計集団である。
東京にも事務所があり、全国規模で仕事をしておられる伊藤建築設計事務所を地域に根差した設計集団というのは失礼かもしれない。しかし、建築が空間というモノを実現させる文明から、そこでの活動というコトを運営する文化を強調する時代になったとき、中部地方や東海地方が安心して依存できるのは、この設計集団以外にない。経営の視点からは損失かもしれないが、文化の時代の地域を先導する役割を期待させていただきたい。
月尾 嘉男(つきお よしお)
1942年 | 愛知県生まれ。 |
1965年 | 東京大学工学部建築学科卒業。 |
1971年 | 同大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程終了。都市システム研究所長、余暇開発センター主任研究員、名古屋大学教授等を歴任後、1991年より東京大学工学部産業機械工学科教授。工学博士。1989年開催の世界デザイン博覧会施設計画プロデューサーをつとめる。著書に「実現されたユートピア」共著(鹿島出版会)「ポスト情報社会の到来」(PHP研究所)など多数。 |