設計事務所のかたち

近江 栄 日本大学名誉教授・工学博士
織田 愈史 伊藤建築設計事務所 代表取締役社長

「コク」と「キレ」

織田:
近江先生と直接お目にかかったのは、先生が千代田区の景観賞の審査委員長をされていて、その第一回目に私ども事務所の2作品が入賞した表彰式の会場でした。そのことがきっかけで今回の対談をお願いする事になりました。それには私どもで設計した「アサヒビール茨城工場(1992年茨城建築文化賞受賞)」を見ていただき、景観や建築の設計についてお話をお伺いするのが一番だと思いまして、勝手なお願いとなりました。まずは試飲されたスーパードライの味はいかがだったでしょうか。実は、このビールのコンセプトが「コク」と「キレ」なんです。同様に、建築にもコクとキレがある様な気がするんですが。
近江:
なるほど。しかし、最近の建築は「キレ」ばかりの物が多くて「コク」のあるものは少ないですね。特にメジャーなジャーナリズムが、メタリックで軽くて大きなガラス面を多用した無機質な透明性のみの建築をトレンドとして追い求める傾向が気になります。もっと生命力を感じさせる有機的な素材の選択が期待されます。
織田:
ところで以前、藤沢市から電話がかかってきまして、伊藤事務所の作品が景観賞に決まりましたから表彰式に出席して下さいと言われました。詳しく聞きましたら、バードビュー的感覚(鳥の様に市域を見渡す)で市民の方々が選んでくださったということでした。最近は色々な観点から景観賞を出す自治体の数も増えてきていますが、定着するでしょうか。
近江:
以前、顧客満足度というのがRIBA(イギリスの建築家協会)で取り上げられて、ようやくそのことに建築家も気付き始めた。要は、アーキテクツ・アーキテクチャー(建築家好みの建築)ではなくて市民の方たちがどう受け取るのかという事をいままではみんなネグってしまっていたんですね。そういう価値観が生まれ始めている基盤には、全国的な都市の景観賞なども大きく役に立っていると思いますよ。
織田:
しかし、まだまだ建築家の意識は自身の作品だけに集中しているし、できあがったものを見る住民の方も建築に対する評価なんて慣れていないから、どれがいい建築なのかわからない。又その代理者である行政側で、とんでもない公共建築を造っても誰もクレームをつけない。それと、地方都市と大都市とでは景観の考え方に非常に差がありますね。
近江:
把握しにくい難しい問題がいろいろあるようですね。景観保全を考える時に、ある建築が環境に一つのインパクトを与えると、周辺の環境も良くなっていく起爆剤となる場合もあるし、建築家としてはただコンサーパティブに地域の現況に調和する事だけを考える場合もあるけれど、お役所の人や地元の人たちの願望は、もうレトロはいいよ、という様な格差があったりもする。
織田:
そうですね。具体的にかたちにする前の話し合いを充分にもたないといけない、という事になりますか。
建築の寿命

近江:
こういった事柄に対し、特に伊藤事務所ではどういう対応をしていますか。
織田:
事務所の中も30年経って、時代がひとつ変わろうとしています。世の中全体が新しい世紀を迎える準備を始めており、環境の時代というか、情報の時代というのか。これからは、いろいろな点で大きく変わっていきますね。例えば、「アサヒビール名古屋工場」(1974年BCS賞受賞)を25年前に設計したとき、その特徴である屋外醸造タンクを全面に出してアピールしたり、増築対応を充分に考慮しましたが、増築していった結果、景観という観点ではバランスが崩れてしまった。今回この茨城工場では、地域景観を大事にして、それはビール工場がある限り変えないというコンセプトです。また、企業方針として最終生産規模を決め、それを建築に反映させた結果なのです。
近江:
企業としての自信もあってできた。それに、先見性が求められたでしょう。
織田:
はい。それが良い建築が出来る最大の条件だと思います。先見性といえば、旧東京都庁舎は竣工してから37、8年位の寿命でした。ストックホルムの市庁舎は竣工してから70数年経過しても集会室が市民の結婚式に開放されていたりして、まだきっちりと使われている。その差は何なのかと考えるんですが、建築の物理的寿命を決めているのは骨組みで、大体100年はいけます。それを駄目にしているのは社会のしくみですが、直接的な要因は、31mという制限の中に何層詰めてもいいという旧建築基準法だろうと思います。建築も基本的なところをきっちり考えれば、もっと長生きできると思うんですが。旧都庁も壊さないで他の用途に使えた可能性があったと思います。
近江:
旧都庁はうさんくさいインテリアがあったり、天井高が低くて執務する立場での居住性も悪いし、悪評さくさくたるものだったと聞いています。
織田:
市庁舎というのは、ウィーンやミュンヘンなどでもレストランやケラーなどがあり、いつでも誰でも使える様になっています。新しい都庁も、50年たったらどうなるでしょう。
近江:
いまでさえ威厳がありすぎて近寄り難い佇いで、内部でも使い勝手が問題になってますからね。
織田:
そういう意味で建築家の責任は大きいんですね。建築というのは純粋なアートと違いますから、ベーシックな土台を踏まえた上で形にしていかないと。ところが、目に見えている空間だけで、支えている背景を何も見ていない場合があまりに多い。私はそういう建築を支える技術的なものと、社会のニーズを見通すものをできるだけ蓄積して、その上に作品として立ち上げたいと考えています。
事務所の規模

近江:
そもそも伊藤建築設計事務所の成り立ちは、日建設計で社長をしておられた伊藤鑛一さんと、何人かの主要メンバーの方達で旗揚げされたのが始まりだとお聞きしましたが。
織田:
はい。伊藤は日建の社長を辞めて相談役になった頃から独立を考え始めた様です。名古屋を本拠に東京は出先として仕事をしていくという事でした。
近江:
現在、名古屋と東京の人数や平均年齢はどれくらいですか。
織田:
技術系で名古屋が約50名、東京が約30名です。平均年齢は37、8ぐらいだと思います。
近江:
それはすごい。私もいくつかの事務所のお話を伺ってますが、平均年齢が35を超えている事務所というのは、仕事は安心して見ていられるが、経営的には非常に大変だという話を聞きますよ。
織田:
おっしゃる通りでして、平均年齢に関してはもう少し、35歳ぐらいまでに下げたいと思います。これからは、組織の循環や継承をどうするかを考える時期にきています。
近江:
私が大学の教師をしていた頃、就職先の話を学生から聞きますと、少人数のアトリエというのは何か心配だ。建設会社というのも違う感じがする。大組織というとまた何だかヘンだ。そうすると、いったい建築設計事務所というのは何人位までが組織として一番理想的な形なのか、という卒業研究まで出てくる。実は伊藤事務所さんとか坂倉さんあたりの人数が丁度それくらいなんですが。それでも実際にはいろいろと苦心がおありじゃないですか。
織田:
設計の基本的な事は目を通す、というスタンスで仕事をすすめますが、私は1人で見られる範囲は25名位までだと思っています。いま、コアリーダーが4人いますので、最大でも100名位の規模が、デザインと技術が一通り揃い、小回りのできる適当な人数だと思います。
近江:
最近、大手設計事務所のトップの交代がいろいろありまして、その話を聞くとヒエラルキーの強かった事務所ほど所員が固くて萎縮していますね。一方では上手くリラックスして良くなった事務所もある。また、東京と大阪の二極でやっている事務所がそれを一本化するといった事も聞こえている。伊藤事務所さんはどうですか。
織田:
名古屋本社と東京では仕事の内容が違っていて、姿勢や雰囲気はどうしても異なります。私自身も交代したばかりですから、事務所を全体としてどうまとめるかが、これからの課題です。
事務所のスタンス

近江:
最近、たとえば建築画報などに作品を掲載される場合、「伊藤建築事務所」と書いて、その後に「担当○○」と顕名するシステムは10年前はなかったですよね。僕は顕名する方が望ましいと思うんです。本当に思い入れをこめて一所懸命にやって人たちにとってみれば、褒められようがけなされようが、自分に責任があるんだと、という扱われ方が当然だと思います。それと例えば、複数のプロジェクトを抱えている人が打ち合わせにクライアントのところへ行く。その内容を持ち帰って実際に担当する若手に伝える場合、必然的にフィルターがかかってしまうし、若手も仕事に直接関わっているという実感がイマイチ湧いてこない。
織田:
先生の言われる通りです。私どもは、新人を最初から打合せに連れて行く場合があります。実際の流れを見ると、建物を発注するオーナーのスタンスや、設計事務所、また施工会社は実際にどういう役割で関わっているのかが体で分かる。建築ってこうやってできていくのかと、非常に新鮮に感じる様ですね。
近江:
それはいい。ところでいま、伊藤事務所としての設備や構造のデザイン以外のスタッフの配分というのはどんな具合になっているんですか。
織田:
ドラフトとしての図面は外に出しますが、基本的なものは中で押さえています。特別なケースですと大学の先生やスペシャリストにお願いしますが。
近江:
例えば、ある事務所で「おたくの事務所はどうもキレが悪いね」なんていう話をすると、そこにいる構造屋さんが丈夫で長持ちすることに専念するばかりで、ちっともデザインへのチャレンジに応えてくれない、という様な話を聞きますが。
織田:
そういう恐れは多分にありますね。私どもの場合、幸いコアスタッフの中に構造計画家がいまして、構造のレベルをすごく上げました。建築空間を造っていく上で、構造とのタイアップは特に大きいですから。
近江:
アサヒビールの工場の屋根も面白いし、そういう事が建築の魅力につながっていく。なかなかの力作ですね。
織田:
恐れ入ります。あれはまさに構造との合作で、非常に上手くいった例です。それと企業から定常的に出る仕事につき合おうとしますと、いろいろなケースがあるものですから、構造や設備を含めトータルで施主のニーズにリアルタイムに応えなければいけないですね。
近江:
仕事の受注関係が、官が2ぐらいで、8は民間だというようなことをお聞きましたが、何でもかんでも官で、競争やプロポーザルだけでしか仕事を取る手立てがない事務所とは違った望ましい生きざまができますね。信頼関係が基盤にある。
織田:
それはそうなんですが、ただもっとバラエティに富んだ仕事を、という点では問題もあります。
近江:
ところで、僕は30年ぐらい前“1級建築士と掛けて、カカトで踏みつぶした飯粒と解く。気にはなるから取ってはみるが食えない”と、他から耳にした話を雑誌に書きましたら、これが馬鹿に受けまして。1級建築士イコール、インターナショナルなレベルでいうところのアーキテクトと誤認している風潮が日本にはあるわけです。ところが、それは違うんだよと、水をぶっかけるような話をする人はいない。その上、近頃では大手の組織事務所やゼネコンの設計部で1級建築士の資格を取れる人がどんどん減ってきてる。必要に迫られないからでしょうかね。
織田:
たしかに取れないですね。昔は1級建築士が足りませんでしたから、割と簡単に取れたんですが、いまは合格率も10%台で非常に難しくなった。それと1級建築士はトップがもっていればいいから意味がないので取らない、という人も多い。
近江:
べつにプレッシャーはかけない。
織田:
取れ、取れと言っています(笑)。もし君が独立しようとするなら、1級建築士がなかったら事務所の看板も掛けられないし、取ったから一人前とは考えないけれど、それは最低必要なものだよ、と。
近江:
私は以前に愛知の図書館公開コンペの応募案を拝見していて、これを担当された織田さんという人は、かなり頑張る人だなという印象を受けておりました。とにかく当選案と競った力作でしたから。
織田:
建築バカみたいなところがありまして、突っ込みだすとみんな忘れてしまいますもので(笑)。すべて真剣勝負ばかりだと疲れてしまいますので、仕事を一回性ではなく継続したなかでやっていくという事を大切にしています。
近江:
それが理想ですね。それこそコンペが万能ではもちろんないし、仕事を頼まれてそれが子を生み、さらに信頼され孫を生むという様に設計の仕事なんていうのは、本来はそういう依頼のされ方で信用が裏付けになって条件が揃わないといいものになるわけがないですね。ところで、今年12月に創立30年を迎えられるそうですが、私は以前から伊藤建築設計事務所さんの存在は、日建の社長さんが独立してつくられた名古屋の事務所である、ということは知っていた。東京に支所をお持ちだということは、千代田区景観賞の時に知った。しかし出てきた作品は公衆便所や教会という可愛らしいプロジェクトでしょう。しかし、その背景に「アサヒビール茨城工場」などがあったなんて全然知らなかった。正直言ってたまげましたよ。それだけのキャリアと実力のある事務所を僕が知らないだけだったんだと。それと、よその設計事務所からみれば垂涎の的のような経営基盤じゃないかと思いますよ。設計の仕事というのは、そういう信頼感のもとに屋台骨ができているのが理想なんです。あとは若い人たちとの世代交代のドラマをどう進めていかれるのか。そういう意味では、後継者候補の方々の作品、責任を持って担当したというものをいつか拝見したいと思います。最近、設計事務所の経営はどこも惨憺たるもので、累積赤字でもう駄目ですよと悲鳴ばかり聞かされているから、公共建築2割で成り立っている事務所というのは大変羨ましい。
織田:
過大なお褒めと将来へのお言葉をいただいて恐縮です。ただ、外から眺めて思われているより実際はなかなか大変なんです。実は、去年の暮れにボーナスで還元するよりもいいだろうと、所員全員でイタリアへ4泊6日の研修旅行に行って来ました。どちらにしても、建築の設計で金持ちにはなれませんから(笑)。本日は長時間にわたって貴重なお話を伺わせて頂きまして、大変ありがとうございました。
織田 愈史(おだ まさし)
昭和 9年
静岡県生まれ。
昭和31年
名古屋工業大学工学部建築学科卒業。同年日建設計工業(株)〔現(株)日建設計〕入社、名古屋事務所勤務。
昭和42年
(株)伊藤建築設計事務所設立・入社。
昭和48年
東京事務所勤務。
昭和53年
東京事務所取締役所長。
平成 3年
代表取締役副社長。
平成 9年3月
代表取締役社長、現在に至る。
近江 栄(おおみ さかえ)
大正14年
東京都生まれ。
昭和25年
日本大学工学部(現理工学部)建築学科卒業後、阿部充設計室で1年間設計業務を体験。
昭和26年
日本大学建築史研究室助手。
昭和45年
日本大学理工学部教授。元日本建築学会副会長。現在、日本大学名誉教授。コンペティションの審査員活動、新建築会館、東京都新都庁舎(シティーホール)、第二国立劇場、黒部市国際文化センター、桐生市文化会館など多数の審査員を務める。
平成 9年
中央工学校創立85周年記念館(STEP)館長