地域に生きる専門家集団 ~伊藤建築設計事務所40周年に寄せて

谷口 元 名古屋大学教授、名古屋大学総長補佐
森口雅文 伊藤建築設計事務所 代表取締役社長

40年の歩み

森口:
私どもの事務所も40周年を迎えまして、それを役職員がただ喜ぶだけでなく、車の定期整備のように、あるインターバルで事務所のあり方を見直すことも必要ですから、この機会に40年という歴史を振り返ってみたいと思って谷口先生にお越しいただきました。
先生と初めてお会いしたのは1980年ですね。1978年に名古屋の建築関係の人たちを中心に名古屋大学の柳澤忠先生を団長に「最新の医療施設の運営管理と建築設備に関する訪米調査団」として訪米しました。そのときのメンバーが集まった勉強会で、当時柳澤研究室の助手をされていた谷口先生に「病棟計画について」の講演をしていただいたときが初対面でした。
谷口:
私は1979年に海外の病院視察に行きまして、その報告を森口さんや柳澤先生ら参加メンバーの前で講演させていただいたわけです。当時の東海地域は、学会もJIAも活動が本格化しはじめた頃で、設計界の方々も大学の先生方もまだ若かったですから、みんな一緒にいろいろコミュニケーションをとりながらやっていったという状況でしたね。森口さんも名大に非常勤講師に来られてましたね。
森口:
私は1981~1995年の14年間、名古屋大学に非常勤講師として奉職しました。最初の9年は「建築エレメント」(後に「構法計画」)という講義で、これは名古屋の建築家の大先輩で佐久間達二さんという方がおられますが、この方の後任をやれと言われてお引き受けしたという経緯があります。佐久間さんは名古屋高等工業学校(現:名古屋工業大学)のご出身で、現在の愛知県芸術文化センターの前身の愛知県文化講堂、これは日本でも割合初期のコンペの作品で、そのとき3等で入選された方です。
谷口:
そうですね。私の学部時代、「建築エレメント」の講師は佐久間先生でした。
森口:
1983年には、柳澤研究室のご指導で愛知県赤十字血液センターの設計監理を担当致しましたが、このときは柳澤先生と谷口先生には基本計画からご一緒させていただきました。それまでの血液センターは愛知県庁の近くの交通の便利な都心にあったんですが、新しいセンターの敷地は都心から離れた瀬戸ということで、敷地の広さは十分だったのでいろいろ新しい試みを提案し、郊外型の血液センターを実現させました。竣工後2度増築し、現在も全国的な血液製剤業務の集約化に対応するために、県域を越えたセンターの調査、企画の仕事をさせてもらっています。
1990年の一宮市立市民病院今伊勢分院に老人性認知症疾患治療病棟とデイケア施設を併設する設計監理も柳澤研究室の谷口先生に協力いただきました。この今伊勢分院は今度、併設した部分を中心に増改築して、それ以外の古い建物は全部取り壊して精神科の単科病院に変わります。私どもは土岐市の聖十字病院という精神病院を30年近く運営管理の支援をしてまいりましたので精神病院に関しては実績もあり、今伊勢にもその経験を活用できるものと思っています。
谷口:
どうして一緒に今伊勢分院とか愛知県赤十字血液センターを設計させていただいたかというと、われわれには学術的な根拠づくりをするという役割があったということです。実際の設計をされる森口さんたちにヒントを与えられるような調査研究とか、特に今伊勢分院のときは、認知症病棟のデザインはどうあるべきかまだはっきりしていない頃で、基準はあってもまだ根拠が曖昧だったので、それを確かめるということで学と実務が一緒にやったわけですね。
市民病院なども、敷地選定までおつき合いすることがありますが、赤十字血液センターもそうですね。候補地についてみなさんと共に現地を見たりいろいろお話しすると、都心部の渋滞の激しいところから出動するよりは、カバーするエリアは愛知県全域ですから、中心部にある主要病院には小型の車でも運べるということで、あの場所を決めたのですね。
森口:
そうでしたね。都心にある血液センターは敷地の制約から重層型が多いですが、瀬戸は基本的には平屋なんです。血液センターというのは製剤工場で、平面的に処理したほうがいいということで、われわれの培ってきた生産設備のノウハウも活用していただけました。
谷口:
あれは面白い提案になっていますね。血液は加工しますから加工工程を持つ卸売り市場、デリバリーセンターですよ。そういう意味で新しいタイプですね。
森口:
最近では、2004年に愛知県の県営住宅の標準設計の業務でご一緒させていただきましたね。愛知県ではおおよそ10年ごとに公営住宅の見直しをしていますが、その標準設計のプロポーザルの条件として、受託者が業務を行う場合に学識経験のある人で検討委員会を構成して検討すること、それを具体的に誰に頼むかということを含めてのプロポーザルでした。私はこれは谷口先生しかいないということで、先生を中心に名古屋大学の構造の大森先生や設備の奥宮先生をはじめ、谷口先生の知人でゼネコンやデベロッパーに所属する方、NTTファシリティーズのような半官半民の方、社会福祉法人の方など産官学のメンバーを集めて検討委員会を組織していただきました。
谷口:
オール名古屋で対応しましたが、みんなよく出てきてくれましたね。
森口:
「これからの公営住宅を考える検討委員会」という名前をつけましたが、きちっとした報告書ができて県からも評価されました。標準設計としては従来のものとそれほど変わったものではありませんが、構造、設備、工法、コストも含めて、いろんな意味で県の公営住宅のあり方をチェックできたのではないでしょうか。
谷口:
わりと短期的な、すぐマイナーチェンジできる案と、もう少し長期的な展望をもったらどういう提案があり得るか、そういったところを主にやりましたね。
森口:
私どもはその翌年に、瀬戸の菱野団地の原山台の県営住宅の建替えの第1号をプロポーザルで特定されまして、この標準設計で設計し、まもなく着工です。今年になってからは、名古屋大学のキャンパスの中のいくつかの耐震改修をプロポーザルで特定されましたが、その中の一つが谷口吉郎設計の古川記念館、昔の古川図書館です。竣工は1965年だったと思いますが、名古屋の実業家の古川為三郎・しま夫妻が名古屋大学に寄贈されたものです。これも谷口先生に学内の調整をお願いしてやっていただいたおかげで、学校側もきちっとしたかたちで残そうじゃないかという姿勢で対応してくださっています。
谷口:
古川記念館もそうですが、豊田講堂も、あんな使いにくいものはスクラップにしたほうがいいじゃないかという議論が常に出ていたんですね。ところが、豊田講堂がDOCOMOMO百選に指定されたというのは重くて、豊田講堂の改修はトヨタの協力が得られることになりましたし、内外にパブリックコメントを求めても、どちらも「愛着がある」という意見が結構出てきている。やはりそういう声に応えていかなきゃいけないですね。
森口:
建て替えたほうが安上がりだということは事実でしょうが、そういう経済の論理だけで物事を判断すると禍根を残すんじゃないかと思いますね。
谷口:
古川資料館は耐震改修が主目的で、それで安全安心を得ることも重要ですが、同時に時代のニーズに合わせて、みんなが使えるように改造していくということもこれから考えたいですね。おそらくそういう努力がこれからも必要になってくると思います。
森口:
そういう観点から今後も先生にご指導をいただきたいと思っています。
産官学とのつき合いで切磋琢磨

森口:
私どもの事務所は、初めは元日建設計工務株式会社(現:株式会社日建設計)の役職員10人で創設しましたが、思いは10人10様であったでしょう。ただ当時、日建では名古屋事務所の縮小や、支所化が噂され、現に所員の東京や大阪への転勤が始まっていたのは事実です。私は入社8年目でしたが、建築というのは人と人がつくるものですから、縁あってこの地で仕事を始めたからには、ある程度自分ができるようになるまでは名古屋で仕事を続けたいと考えて、名古屋を活動の拠点とする事務所で、しかも地元の支援がいただけるということでしたので創設に参画しました。翌年には顧客サービスのために東京事務所を開設しましたが、東京も一地方、地元事務所の認識には変わりありませんでした。以来40年、その支援にどう応えるか、地元事務所の存在意義は何かということをずっと考え続けてきた結果、今があるということだと思います。
谷口:
普通は設計と監理が終わればおしまい、あとはアフターケアが多少あるだろうけれどもお金にならない、という経済的な判断が優先しますからね。
森口:
私はかなり早い時期からメンテナンスをはじめコンサルタント業務は、有償にすべきだと思い、そのことをクライアントにお願いしてまいりました。名古屋もそういうことに関しては非常に厳しい土地柄ですが、時間はかかりましたが心を込めた対応は理解に通じました。これは事務所の財務よりも職員のモラルに関わる大事な問題だと思います。その結果600件に及ぶコンサルタント業務の依頼を受けることになりました。
CM(コンストラクション・マネジメント)協会の活動も先生と一緒にやりましたが、これも事務所の業務として以前からやってきたことでした。
谷口:
今、官庁工事も含めて、監理を分離することが多いですが、昔は監理の過程でCMを設計事務所もやっていたはずですね。自分で見積もりをとって、見積もりが合わなければコストオンしてゼネコンに任せる。お施主さんに敷地を見てくれと言われれば、その敷地の資産をどう見るか。そうするとアセット・マネジメント、プロパティ・マネジメントになる。
森口:
そうですね。最近FMrとかCMrとか、いろんな資格をつくっていますが、CMrはCMに関してだけなんです。企画から、竣工して、次に建て直すまでの建物全体の話はないんですよ。
谷口:
そうですね。これはCMrはどういう位置づけになるかという絵ですが、建築家は施主に依頼されて、図面を描き、報酬を得るという立場ですが、医者と患者との関係とまったく違うのは、建物をつくる人が別にいるということですね。ですから、施工者と施主との間で利害関係が合わないのも調整するという考えもあるし、施工者を監理・指導するという立場もある。だからCMrというのは、建築家が業務としてやっていたんですよ。それが今は細分化してしまっている。
森口:
だからこの仕組みを統括する人が絶対必要ですね。
谷口:
「地域に生きる」といったときに一番大事なのは、川上から川下まで面倒を見られる存在が要るわけで、それは町の建築家の役割ではないかなと思いますね。
森口:
町の建築家とか地元事務所というのは、顔があるわけですよ。日頃何をやっているか、どういう人が関わっているのか、行儀の悪いことをしたら誰も声をかけてくれない。それが事務所や個人の責任感に通じると思うんです。それとすぐ近くにいるから365日24時間対応できる。職員は大変ですけどね(笑)。
谷口:
実際この40年間に1,200の新規設計と改修で600、コンサルタントで600ですか。この足跡はすごいですね。都市の景観を決定づけているぐらいの量だと思います。
名古屋の力は実業の力

森口:
最近いろんなところで名古屋は景気がいいですねと言われますが(笑)、名古屋は物づくりのまちだといわれているように、要は「実業」の世界なんですね。「虚業」の世界じゃない。だから名古屋の強さは実業の力かなと思いますね。
谷口:
私は日経ニューオフィス賞などの審査でオフィスを見る機会が多いのですが、名古屋には創業者が多いでしょう、ミツカンとかINAXとかトヨタとか。そういう優良企業は実に面白いオフィスをもっていますね。中部圏に広げても、シェアが世界的な企業とか、物づくりが多いですが面白いところに目をつけて商売をしている企業が多い。そういうところは経営方針もユニークだから生き残っているんですよ。名古屋は実業というのは確かにそうですね。
森口:
「お値打ち」という言葉が名古屋にはありますね。私は生まれも育ちも京都ですが、名古屋に来てちょっと遅いですが最近やっとわかったのは、ただ安いだけではいかんということですね。要するに何で安いのかをきちっと説明できないといけない。
谷口:
納得のいくコスト。
森口:
私はこれこそ名古屋が誇れる文化の一つだと思います。お値打ちという言葉を私は大事な文化だと思って大切にしています。事務所としても、お客さんの大事なお金を使うという立場から、格好よく言えば顧客第一主義ということですが、それなりのリーズナブルな使い方を提案しなきゃいけないというのが根本にある。極端にいえば、お値打ちな建物をつくることがうちの事務所の長い間の方針かなと思ったりもします。人のお金を使っているということを意識しているから、クライアントの前でも100%「あなたのためにやっています」という姿勢がとれるわけですね。
谷口:
名古屋で私が足りないと思うのは、都市戦略、地域戦略ですね。地域全体の資産をどうやって活用した都市づくりをするか。最近、中心市街地から子どもが減っていて、小中学校の統廃合を盛んにやっていますね。名古屋市では地域住民のたっての希望で、放っておくとみんな1学年1クラスになってしまうから、複数クラスになるような規模計画をつくるということになって、倍の規模を想定して計画を進めています。考えてみるとこれは都市戦略ですね。つまり中心市街地に子どもたちが今の倍の数住んでいる社会をつくりたいということですから、行政としても、どうやってそういう小学校区に魅力を感じて人が寄ってくるかを考えないといけない。その、人が寄ってくるようにするというのが戦略ですね。それに計画が後押しをするわけですから、それを何も知らずに設計するというのじゃなくて、どういう戦略を立てるべきかをクライアントがちゃんと考え、それに沿って設計も行う。建築家もそれを理解する。そういったことが大事ですね。
日本の建築教育に欠けているもの

森口:
建築を小中学生(高校や大学では遅い)の子どもたちに学ばせようというカリキュラムがほとんど見当たらないのはさびしいですね。別に音楽家やアーティストを育てようということじゃなくて、常識(一般教養)としての美術教育や音楽教育があるように、建築教育があってもいいんじゃないかと思います。
谷口:
私は、大学の建築系からは卒業後、設計に限らずいろんな分野に行く人がいますから、ファンをつくるというか、少なくとも建築家の立場を理解してもらえる人たちがまわりにいて、行政に行ってもゼネコンに行ってもどこへ行ってもいいですが、建築家という職能を全うできる人を理解し、支援するような社会ができるといいなと思いますね。
森口:
また、建築の本来の歴史教育を今の日本ではどこもやっていないと思うんです。歴史といったら古建築だけでなく当然近代の技術の歴史も含まれる。建築以外の分野では、わりあい技術の歴史というものが尊重されていますね。
谷口:
先人たちがどうしてそういうデザインをしたかということを知らないと、次のデザインはできないですね。次に何をやるべきかを悟るためには、先人たちが何をしてきたかということを知る。おそらく優れた建築家はみんなそれに気がついて、その上で新たにチャレンジしていますね。バック・トゥ・ザ・フューチャーという言葉がありますが、人は前(未来)を見ることができないから、後ろ(過去)を見ながら進むしかない。だから先人の作品や街を見ながら未来のあるべき建築や都市を語るということですから、歴史というのは大事ですね。
森口:
新しい建築技術とは直接結びつかないけれど、やっぱり連続しているんですよ。急に新しい技術が出てくるわけではない。たどっていくとこういうことなのかとわかる。今、建築の設計ではカタログを調べて選択する作業が非常に多いですが、そういう設計でも上手下手が随分ある。それはその選択をするときに、どこをたどってどういうふうにやっていくか、もとをどれだけ知っているかというのが大きい。だから、これからの人には技術に限って言っても、歴史的なものをもっと勉強してほしいと思いますね。
次の10年に向けて

谷口:
次の10年に向けて、森口さんの挙げられた「地域に生きる」というキーワードは非常に大事なことで、きょうお話のあった伊藤建築事務所の設立の経緯のように、産官学民さまざまな社会で受け入れられて、皆さんで一緒にやってきたという歴史から考えても、地域に生きる専門家集団として今後もやっていっていただきたいと思います。
森口:
はい。設計事務所としては、クライアントのためにきちっとした仕事ができる、健康な状態で存続させるのが今後の課題じゃないかと思います。そのために、次の5つのことを考えています。変えなきゃいけないこと、変えてはいけないこと、変えなくてもいいこと、その辺の峻別をすることが一つ。今回先生からいただいた示唆も含めて、社会に対する事務所のスタンスを示すこと。顧客第一主義と同時に、本業重視。最後に、規模は60~70人を維持して、私どもの伝統である少数精鋭を貫きたいと思っています。本日はありがとうございました。
2007年8月8日 ホテルオークラレストランにて


谷口 元 (たにぐち げん)
1949年愛知県生まれ。名古屋大学教授。同大学総長補佐(施設整備担当)。工学博士。
1974年名古屋大学大学院工学研究科修士課程建築学専攻修了後、INA新建築研究所、大同工業大学助手、名古屋大学助手、同講師、椙山女学園大学教授を経て、1995年より名古屋大学教授。2001年より名古屋大学総長補佐を務める。主な作品に、「名古屋大学IB電子情報館」、「名古屋大学医学部附属病院病棟」、「碧南市民病院」など。著書に、『健康デザイン 健康をサポートする環境づくり』(共著、医歯薬出版、2000年)などがある。

森口雅文 (もりぐち まさふみ)
1937年京都府生まれ。伊藤建築設計事務所代表取締役社長。
1960年京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科卒業後、日建設計工務(現:日建設計)を経て、1967年伊藤建築設計事務所設立に参加、同社代表取締役副社長を経て2001年より現職。名古屋大学講師(非常勤)、日本建築家協会理事・東海支部長、日本建築学会評議員、日本建築協会常任理事・東海支部長などを歴任。現在、日本建築家協会東海支部愛知地域会監査、中部電力建築設備電力委員会委員、東邦ガス環境・エネルギー研究会委員などを務める。