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伊藤建築設計事務所に寄せて
佐野正一
安井建築設計事務所社長

伊藤さんが日建設計の社長を辞めて名古屋で伊藤建築設計事務所を開かれてから9年近い歳月が流れている。早いものだとつくづく思う。
新しく事務所を開くということはなかなか容易なことではない。先立つものは人と資金、それに当面の仕事の確保、わずらわしいことが山ほどある。「名古屋で小さい事務所を開くことにしました。」はじめ伊藤さんからそう告げられたとき、それはそれで良いことだと思ったものの、伊藤さんのことだから小さいと云っても可成りのスケールのものを考えておられるのだろうから、人と仕事の問題で古巣の日建設計や地元の業界に思わぬ波風が立たねばよいがと失礼ながらひそかに心配した。
どうやら私の懸念は単に杞憂に終わったようである。創業の関門を無事にこなし、その後の深刻な不況という思いがけぬ試練にも耐えて着々実績を積んで、今や独自の地歩を築かれたのは伊藤さんならではのことだと思う。念願を貫いて小さい事務所どころか誠に堂々たる力をもつた事務所に見事に育てあげられたのは、伊藤さんのもつ確かな腕だと改めて敬服した。
私が伊藤さんの名を知ったのは、名古屋で日建設計の所長の役で戦後の同社の興隆のため苦心しておられた頃である。本社に転じて社長となられ今日の日建設計の大をなすに到るベースを造られたことは良く知られている。社長として在つた8年間は所謂日本経済への高度成長の時期に当るが、伊藤さんはその好機をとらえ、よく波にのってめざましい活躍ぶりだった。昭和36年4月から日本建築家協会の理事をつとめ、昭和37年4月から昭和42年3月まで5年連続理事で関西支部長の責を果たされている。私はこの期間ずっと伊藤さんの下で幹事長をつとめ、昭和44年3月までつづけてその地位にあり、昭和42年4月から昭和44年3月までは次の森忠一支部長に協力し、昭和44年4月から昭和48年3月まで今度は私自身が支部長をつとめることになった。伊藤さんが支部長時代に支部を母体に大阪府建築家協同組合が設立されている。これは建築事務所の業務用物品の購買販売を扱う異色の組織だが、標準仕様書の制定販布などの業績が光っている。伊藤さんは昭和37年11月から昭和42年3月までこの組合の理事長を引き受けられた。私はこの組合のことでも伊藤さんの下で設立から運営についてお手伝いをした。
5年間、毎月定例的に二つの建築団体の役員会がある。その他にも随時必要な打合せや会合がある。伊藤さんは多忙な日常だったが完ぺきなつとめぶりだった。いやな顔一つ見せずよく意見をきき的確な判断を示された。この期間私が伊藤さんの知過を得て感得したことは誠に大きく貴重だったと思わずにはおれない。
今もあまり変りはないが、日本建築家協会は当時さまざまな問題をかかえていた。会の憲章、職責、外へのアピールなど具体的な事象に即して内にも外にもゆれ動いていた。その背景のもとで寡黙気味の伊藤さんの意見は重厚で一種のすご味があった。苦労の経験と実力を背にした迫力をもちながら表面は極力抑えたさりげない云い方がかえって効果的だった。
そのあたりに伊藤さんという人のもち味がかくされているように思う。大人、伊藤さんの性格は仲々多角的で安直に割切れるような単純な理解を許さない。人によって非常に慎重だとか、いや大胆不敵なんだとかまるで正反対なような見方があるかと思えば、誠実そのものが本来の性格だと評する人もあれば、深慮遠謀のかたまりと云う人もある。建築団体の仕事を通じて私の接した伊藤さんは綿密で計画的で、いろいろな勝手と思えるような意見に対しても巾広く辛抱強い対応ぶりを示されたし、しばしば理想と現実のギャップに遇っても処置に窮することは皆無だった。これなどは長い実務経験と大組織のリーダーとしての自信のほどを示すものだろう。極めて実際的で極めて行動的な面を私は見たように思う。
ご自身の性格や行動のパターンを自ら解説するような方ではないから、いきおい伊藤さんについてのさまざまな無遠慮な見かたがバラバラに成立することになるのだが、そうしたいくらかつかまえどころのないところが却って伊藤さんらしさを感じさせる。いくつかのすぐれた資質、そのなかに相互に矛盾したニュアンスのものも含めて多面的な構造をもつ一個の伊藤という人間像が浮びあがるのだ。
私は不幸にして伊藤さんのいわば公的な面以外の私的というか趣味、交友といつた日常生活に関して殆ど知らない。もしその一部でも語ることができれば伊藤さんの人間像は更に多面的で多彩なものになることは確かだと思うが、残念ながらあきらめるほかはない。しかしいわば公的な面だけの接触ではあつても伊藤さんの行動、発言のはしばしを通じて氏の人間としての魅力を私は充分に知っていると思っている。喜び、怒り、苦しみと迷い、そうしたもろもろの人間感情の起伏はかなりはげしい。しかし伊藤さんはいつも、はげしさを抑えて控え目に、あるいはそうとは見えないやり方で表現しておられるように私は思えた。
伊藤さんのもつこういった性格、実際的な判断力、積極的な行動性、自制された個性といったものが日建設計という大組織のリーダーとしての適性にまさしくよく適合したのであろう。この組織の近代化、そしてその業績の拡大と内容の充実ぶりは誠に圧倒的と称してもよいものだった。そして、伊藤さんはやがて塚本猛次氏にその座を譲って去った。私のように外部にあるものにとっては、あれほどの実力者であり、功績の多かったと思われる人が、なぜあっけなく無関係の立場に退らねばならないのか疑問がないでもなかったが、そこは大きな組織のもつむづかしさというか余人の判断を超えるものがあるのだろう。畏友塚本さんを新リーダーとする日建設計は以前にもまして技術的に水準を引あげ、業績を確固としたものとし頼もしい業界第一の地歩を進んでおり結構なことだし、伊藤さんは伊藤さんでわが道を選んで初志を貫かれたのだから何も云うことはないのである。
伊藤さんが名古屋で事務所を開設されるそのねらいは、所謂第一線引退後の余技といった消極的な考えからでたものではないことは当然である。そこでこういう解釈がある。伊藤さんが永年大組織のリーダーとしての体験を生かし、少数のスタッフを協力者として気心の知れた郷里でご自身の手のとどく範囲内での能率の良い事務所運営をしてみたいということだ。至極自然なねらいで、そのねらいの通り其の後の経過は着々実現したわけだが、駄足ながら少々私見をつけ加えさせていただきたい。
今日の設計事務所運営は完全雇用制という日本の社会の制約下で給与水準の上昇は大組織にとっても小組織にとっても深刻な重荷であり、加えて従来から乱立気味だった業界は設計需要の後退から過当競争の悩みが大きい。受注機会と受注内容について大組織と小組織とではいくらか違いはあろうけれども、とかくデコボコになり勝ちな収入を前提に、支出を抑えて苦しいやりくりをしている状況は同じようなものである。
大組織と小組織との違いは業務内容の種類と処理の仕方にあると云っていいだろうが、日本の現状では本質的な意味での格段の差はみつけ難い。小組織の事務所は欧米の優れた例のようにリーダーの個性を生かしてもっとのびのびと指導的に動くべきだし、大組織の事務所は単に小組織が横にひろがったような肥大ではなく、社会のニーズに積極的に呼応できる奥行をもつ性格に変ってゆき、当然両者は異った特色をもつことになると思うのだが、いまだその段階には達していないのである。
かえって大組織、小組織ともに相互に理解を失い反撥する傾向すら見えることは残念なことである。例えば小組織側からは大組織は徒らに利益追求に走っているとか、人間関係が機械的に陥っているとかと云い、大組織側からは小組織の前近代性を云うのは相互に実態を理解しようとしないことからの誤認であろう。私は今日の設計界にある方がたにそれぞれの立場でいまだ未熟の段階にある日本の設計組織をどうしたら充実させることができるのか考えていただきたいのである。
伊藤さんは大組織から離れて、敢えて小組織をつくられた。大組織のメリットと弱点を知りつくした上で小組織のあり方をさぐろうという点で私は一つの重要な意義を感ずる。大組織とは違った小組織の良さとはなにか、それを大組織を育てリードしてきた経験を通じて見出していただきたい。その検討された結果は同様の小組織を運営してゆく立場にとっても、また大組織を運営してゆく立場にとっても示唆するところの多い貴重な資料となるに相違ないと思う。
伊藤さんとスタッフの方がたのご健祥を祈り、事務所の運営がいよいよ円滑に進み今後も一層のご発展あることを切に期待したい。

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