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伊藤事務所の基本的な設計理念
柳沢 忠

他の建築家には作れない新しい建築を創造するのが建築家の喜びであり、社会的使命である。多くの場合、その新しさを外観の斬新さに求めるが、最も大切なのは新しい生活が展開する容器としての新しさであると私は考えている。勿論新しい生活すべてがよいわけではない。少ない人数でより効率のあがる運営方式とか、温い人間交流がスムーズに展開するとか、今までには見られなかった価値ある生活は好ましい新しい生活であると云えよう。
建築設計の目標は新しい生活の実現であり、そのために平面計画・構造計画・設備計画から施工計画まであらゆる建築技術が結集される必要がある。伊藤建築設計事務所はそれが出来る数少ない事務所の一つである。少々古い話になるが、昭和36年に竣工した東海銀行本店の設計は新しい生活を生み出した新しい建築の典型として私の印象に強く残っている。生活というと分かりにくいが、客の流れ、職員の業務等全般を指している。
一般に銀行の平面は主要道路に主玄関があり、正面にカウンター、そのバックに業務空間が広がっている。ところが東海銀行本店はこうした銀行の常識を破って玄関を入るとカウンターが前面道路と直角の方向に延びており、業務空間が見えない(図-1)。これは当時計画道路であった錦通り側と、当時から主要道路であった広小路通り側と、両方から客がアクセス出来るようにしたことと、業務空間を3階以上の本店業務と連絡をよくし、客にはスッキリとカウンター廻りだけを見せたまったく新しい考え方であった。しかも1・2階のカウンター前大ホールの柱を一列なくすために3階にトラス階を設けて構造的解決を計っている。現在は広小路・錦の両通りから半々の客が入り、通り抜けられる広々したホールが開放的な雰囲気を与え、銀行らしくない明るい環境となっている。
実はこの東海銀行本店の新しいアイディアを提案したのが現伊藤事務所代表取締役の鋤納忠治氏であり、大学を出てわずか3年の若手であった彼の斬新な計画を採用し、多くのベテランに実行計画をまとめさせたのが、当時日建名古屋事務所長であった伊藤鑛一氏である。この2人の多分初めての仕事のふれ合いが、今日の伊藤事務所の基礎をつくったのだと私には思えるのである。新しい生活を可能にする新しい建築的解決を総合的に求める伊藤事務所の作風が、こうしたプロの提案とそれをまとめ上げる技術力こそが施主の絶大な信用につながっていくことを知っている伊藤事務所の基本的な考え方が、東海銀行本店設計時に芽を出していたのである。
この作品はあくまで日建設計の作品であるから、ここでもう一つ伊藤事務所の作品を取上げてみたい。数ある作品の中で、たまたま私がコンペの審査を担当した関係で内容をよく知っている一宮地方総合卸売市場の独創性を御紹介しよう。
伊藤事務所の案は色々な点で他の案とはまったく違っていた。そして違うポイントすべてに明解な説明が分りやすく記述されていたのである(図-2)。・この案だけが海産物を扱う以上防錆が大切だという理由で鉄骨造でなく鉄筋コンクリート造であった。・大スパンをプレストレスト工法で処理し、建設費も鉄骨並みかそれ以下におさえている。・卸売場に東西両面から大型車が寄りつきやすく開放的にし、事務室はすべて作業スペースの直上(2階)にあげている。・駐車場・門・サービス店舗棟の配置は作業効率・卸売業者の平等・全体の見通し等から決定されている。等であった。しかし最も印象に残ったのは、それら計画上の特徴を分かりやすく説明する設計図書のまとめ方であり、自信をもって論理的に施主を納得させていく伊藤事務所の迫力であった。この作品はコンペ審査委員全員の賛成を得て実施に移されたことは云うまでもなく、後にプレストレストコンクリート技術協会賞を受賞している。昭和56年度受賞の論文賞2件、作品賞3件はこの作品以外すべて土木関係であった。この作品のプレストレストは特別新しい技術というのではないが、そうした技術を総合判断として正しく評価し、使われ方・コスト・材料施工等のバランスの中でうまく応用された点が受賞につながったのだと思う。
話は変わるが、数年前にアメリカの病院視察団で伊藤事務所の森口雅文氏と御一緒した事があったが、その時の森口メモはまことに見事なものであった。重いカバンを肩から下げ、写真をうつしながらのメモでありながら、短時間にくわしいスケッチと説明文を、仕上材料と寸法までつけてまとめてあった。伊藤事務所の設計図書による説明力は所員一人一人の日頃の努力とつながっている事を痛感したことであった。
私は7~8年前、或る建設新聞に伊藤鑛一さんを「中部建築界が生んだ怪物であり、この地方のかつての英雄斉藤道三を思わせる実力派であり、味方には無類の頼りがいを与え、敵にとってはおそろしい存在なのだ」と失礼な紹介をしたことがある。そして「伊藤さんの強みは何といっても施主の信頼が厚いことと、人を見る目の確かなことであろう。しかも後者が前者を増幅するのである」とも記した。施主の信用としては、確かな技法を応用し適応させる腕力や、施主に得をさせる計画力であろう。
日本建築界の大御所、前川国男氏が年来の主張、テクノロジカルアプローチの説明として、「単なる造形的興味からの絵空事でない、建築の技術的経済的な前提からの形の追求を行わないと、日本の新建築は永久に一つのファッションに終始せねばならない」と述べている。まさに伊藤事務所の考え方と一致するのではないか。鋤納さんらがますます円熟の境に達しているとは云え、伊藤さんの眼力は建築界にとって貴重である。今後ますますの御健康と御活躍を祈ってやまない。


柳沢 忠(やなぎさわ まこと)
名古屋大学工学部教授

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