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文化としての建築
海部 俊樹 衆議院議員
鋤納 忠治 伊藤建築設計事務所社長
本誌 小堀 美津子

ともに昭和6年生まれの羊の会「名古屋六羊会」のメンバーであり、地元愛知県を共通フィールドにして親交を結ぶ 海部俊樹衆議院委員・前総理と、鋤納忠治伊藤建築設計事務所社長。 両人は3年前にJIA(新日本建築家協会)東海・北陸支部愛知部会の発行する「ARCHITECT」誌で建築家の職能を主なテーマに対談、異色の顔触れによる建築談義が注目を集めた。 今回は、“文化としての建築”との認識が 一般社会においても新たな広がりを見せている情勢をふまえ、 建築のあり方、設計界への注文、まちづくりへの展望などについて話合ってもらった。

本誌 本日は、海部先生、鋤納先生、ご多忙のなかをご出席賜りありがとうございます。さて、ここ数年、建築デザインや建築の有り様が社会的テーマとして、マスコミ等で度々取り上げられるようになり、市民側からの関心も高まってきているように思えます。日頃、建築を社会に広める、あるいは建築家の存在について一般社会の理解を得るということに取り組んでおられる鋤納先生、建築をめぐる現況をどんなふうに受け止めておられますか。
鋤納 建築というのは非常にわかりやすいジャンルだと思います。絵画や彫刻、あるいは音楽よりも建築はわかりやすい。ただ、もう少し子供の頃からとか、或いは大学なんかでも一般教養科目の中で、文学や哲学や美術などと同じように、建築をカリキュラムに取り入れてもらって、学ぶ機会がもうけられれば、一般社会に、より建築が理解されるということになり、面白いんじゃないかな、と思っております。というのは、建築は一見わかり易いようにみえて、存外分かりにくいところがあるようです。私はちょうど日本人の英語みたいな感じがするわけです。文法あるいは文章を読む、そういう英語はかなり出来るけれども、簡単なはずの日常会話ができない。それと同じように、建築も、建築家などは難しいことを言ったり考えたりしているのですが、肝心の一般社会のなかにどういうふうに受け入れられていくか、というようなところが欠落していましてね、わりとひとりよがりなところがある、といえばあるのではないかと反省もしているわけです。
海部 建築は見た目の価値とともに機能も非常に大事ではないでしょうか。便利さや多様な利用ができる装置とか。そうしたことが定着してくれば建築に対する理解も進むのではと実感しています。日本はいままで豊かさやゆとりがなかったせいかもしれませんが、ようやく政策的には質を良くしていこうという時代に入ってきたところですからね。欧米に比較していろいろな面でまだ遅れているだろうと思いますが、しかし、遅れているからこそ、逆にいうと、踏み出すときは欧米を追い越すことができるはずですよ。
鋤納 日本の建築技術力は、いまや欧米に比べ確かに優れているところまできました。特に耐震技術については進んでいるといわれており、技術的には、たいていのことは不可能なことはないという時代になってきました。それだけに、では何でもやってしまってよいかということを、考え直してみなければならない時期にきたのではないか、という気がしています。矢張りハードよりもソフトが大事な時代ではないでしょうか。

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